深尾重愛

 
凡例
深尾重愛
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 弘化3年8月14日(1846年10月4日
死没 明治5年7月23日(1872年8月26日
改名 市太郎(幼名)→重愛
別名 内記、刑部、市郎(通称)
官位 従五位下
主君 山内豊範明治天皇
土佐藩
氏族 深尾家
父母 父:深尾重教、母:足達氏娘
養父:深尾重先
兄弟 重哀、重愛
養兄弟:重先(深尾重愷子)
正室:山内佐成(酒井勝作)の娘
重孝
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深尾 重愛(ふかお しげよし)は、江戸時代後期の土佐藩家老深尾家当主・佐川領主11代。

経歴

弘化3年(1846年)8月14日、土佐藩家老深尾重教の三男として土佐に誕生した。

嘉永6年(1853年)、父・重教の死去の際、幼いため従兄の重先(叔父・重愷の子)が養子となって家督相続し、その継嗣となる。

万延元年(1860年)、重先が藩より蟄居を命じられ、代わって家督を相続する。文久2年(1862年)、重先の処分が解かれ復職したため、継嗣に戻る。慶応4年(1868年)、土佐藩に、朝廷より鳥羽・伏見の戦いに敗れ朝敵となった伊予松山藩征討の命が下り、その先鋒を務めて戦うことなく恭順させる。明治2年(1869年)、版籍奉還により、代々知行した佐川から高知に移住する。明治4年(1871年)、重先の隠居により再び家督を相続する。兵部省に務めるも、職を辞して高知に戻る。

明治5年(1872年)7月23日、高知で死去する。家督は嫡男の重孝が相続し、明治39年(1906年)、重先、重愛の功績により、従五位下、男爵に叙され華族となる。

参考文献

  • 『佐川町誌』
先代
深尾重先
佐川深尾家11代当主
1860年 - 1862年
1871年 - 1872年
次代
深尾重孝